2025/1/4 降誕節第2主日  「神と人とに愛されて」

ルカ2:41-52、フィリピ2:6-8、ゼカリヤ8:1-8
讃美歌 332

イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。(2:51−52)

Ⅰ.生への衝動

主にあって迎えた2026年最初の礼拝に開かれた〈生ける神の言葉〉は、12歳になった少年イエスが、両親に連れられて過越祭を祝うためにエルサレムにやってきた時にあった事件です。ユダヤの伝統では_律法を理解できる年齢13歳_成人男性は年三回(過越祭、七週祭、仮庵祭_申命記16:16)、エルサレム神殿に参拝することが義務づけられていました。主イエスが両親に連れられて初めてエルサレムにやってきたのは「十二歳」の時であったとルカは記します(2:42)。つまり、主イエスの両親は成人男性としての義務を負う備えとして、息子イエスを連れて過越祭に参加したのです。
「さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが12歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。」この導入句から分かるように、ルカは、主イエスは敬虔なユダヤ教徒の両親のもとで育ったとしたのです。そのことに思いを馳せた時、フロイトの弟子エーリッヒ・フロムの言葉が頭を過りました。フロイトは「死への衝動」について語りました。死への愛、とは、狭義には死体に対する性的な愛、つまり社会的規範から外れた現象をいいますが、さらに一般化して、破壊を賛美したい気持ちなどを意味します。死体に対する性的な愛という異常な現象は別にしても、破壊を賛美したい気持ちはだれにも多少なりとも備わっているというのです。
これに対してフロムは、命を愛し、成長に関心と喜びを持ち、美しいものを求め、創造を賛美する「生への衝動」もまた誰にも与えられていると言います。しかもこの二つ衝動はそれぞれ環境によって伝染する。生命を愛し、成長を喜び、美しいものを賛える人々の中で、人間は自分自身もまた命を愛する喜びを学ぶと。だから子供は、「生への衝動」が優勢な人々の間で育たなければならないと。
人類の歴史は「死への衝動」に突き動かされてきました。特に、私たちが今、現に生きている時代は「死への衝動」が優勢な時代です。アンドレ・ヴァラニャックは、「あらゆる技術革新は集団の死の危険をはらんでいた」と語りました。ヤスパースは、「現在は精神にせよ、人間性にせよ、愛や創造力にせよ、貧困を目ざしての破滅的な下降である」と語りました。その意味で、ルカが描く少年イエスの物語は、集団の死の危険を孕んだ現代の闇に輝く光なのです。聖霊の照明を祈り求めつつ、御言葉に聞きたいと思います。
少年イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしているのを聞いていた人々は、「イエスの賢い受け答えに驚いた」とルカは記しています。 イエスはどのような少年だったのでしょうか。それを間接的に伝える資料があります。主イエスはおよそ30歳の時、神の国の福音を宣べ伝え始めたのですが、その評判はユダヤを超えて、シリア、サマリアにまで伝わります。そんなある日、主イエスが郷里ナザレに帰り、会堂で話された時のことです。町の人々は驚いてこう言ったのです。「この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一諸に住んでいるではないか」と(マルコ6:2−3)。郷里ナザレの人々の反応が示しているように、イエスには、取り立てて言うほど目立った所はなかったのです。
そうであるのにルカは12歳のイエスを、「知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」と紹介します。この言葉は最後の士師サムエルについて語られた言葉、「サムエルはすくすくと育ち、主にも人々にも喜ばれる者となった」(Ⅰサムエル2:26)から取られたというのが一般的です。ルカは「マリアの賛歌」(1:46−55)に見るように、主イエスの母マリアを、サムエルの母ハンナをモデルにして描きました。ハンナは、夫に愛されながら子を産むことができず、深い悩みの中、子供を与えてくださるよう、神の御前で心からの願いを注ぎ出して祈ります。心を注ぎ出して祈るとは、自分自身をすべて注ぎ出したということです。その祈りの実がサムエルであり、「サムエルはすくすくと育ち、主にも人々にも喜ばれる者となった」のです。ルカは、「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」と記すことで、イエスもサムエル同様、自分自身を全部注ぎ出した、「生への衝動」が優勢な母の祈りの中で育ったとしたのではないか。

Ⅱ.神殿再建

両親に連れられて、初めて行ったエルサレムで事件が起きます。ナザレの片田舎と違いエルサレムは大都市です。しかも祭りの間エルサレムにはユダヤ全土から人が集まり、住民の二倍の人で溢れかえったのです。祭りが終わり、両親は親戚や知人と一緒にナザレへの道を進みます。夕刻、息子イエスがいないことに気づきます。捜し回りますが、だれもイエスの所在を知る者はなく、両親は来た道を息急き切ってエルサレムに引き返します。そして「三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた」のです。両親はイエスを見て驚き、母は「なぜこんなことをしてくれたのですか。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」と詰め寄ります。するとイエスは、「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」とお答えになったのです。これが事の顛末です。いったいルカは、このような物語で何を描いのでしょうか?
教会暦はこの記事との関連でゼカリヤ書8章を取り上げています。そこには次のように語られています。
3「主はこう言われる。
わたしは再びシオンに来て
エルサレムの真ん中に住まう。……
8……こうして、彼らはわたしの民となり、
わたしは真実と正義に基づいて
彼らの神となる。」
預言者エゼキエルは、バビロニアによって神殿が破壊されたとき、神の栄光が神殿を去るのを見た、と語りました(11:23−24)。ゼカリヤは、その神の霊が再びエルサレムに帰り、その真ん中に住む事で、イスラエルはヤハウェの民となり、ヤハウェはイスラエルの神になる、と語る、神の言葉を聞いたのです。世々の教会はこの預言の成就を、ルカが描く12歳のイエスに見てきたのです。
ゼカリヤはハガイと共に、バビロン捕囚後に召された預言者です。バビロンに代わり新しい宗主国となったペルシア王キュロスの勅令により、捕囚民はエルサレムに帰還しました。しかし捕囚からの解放には、かつてエジプトから救い出されたとき、真っ二つに裂けた紅海を渡り、荒れ野の旅ではマナに養われるという奇跡的な現象はありませんでした。第二イザヤは出エジプトを超える神の救いの業があると語ったのです。しかしバビロンからの解放を偉大な預言の成就とみなす者はいませんでした。つまり、神が第二イザヤを通して語られた約束は未成就のままなのです。そのような時代に神は預言者を立て、「わたしは再びシオンに来てエルサレムの真ん中に住まう。……こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは真実と正義に基づいて彼らの神となる」と語られたのです。
ゼカリヤが神から聞いた言葉は、破壊されたエルサレム神殿の再建と密接に結びついています。神殿再建が神とその王国の近い到来にとって必須条件であるとしたのです。神殿は、神がイスラエルに語り、イスラエルの罪を赦し、イスラエルのために現臨する場所だからです。聖所と祭儀から癒しと救助の力が出たのです。しかし敗戦後の混乱の中で人々は神殿に対する関心を失っていたのです。経済的困窮のゆえに神殿の再建を先延ばしにしていたのです。「今はまだその時ではない」(ハガイ1:2)と。まずは生活の安定、神殿の再建はその後であると! ゼカリヤはこの順序を逆転したのです。まず神の王国を求めるのでなければ、イスラエルはイスラエルではないと。しかも論争的な鋭さで、人間的、政治的権力が新しいエルサレムを守るという考えを拒否します。
「武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって、と万軍の主は語る」と(4:6)。これは、かつてイスラエルが聖戦を遂行した時に語られた言葉です。聖戦とは、「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」ということです(出エジプト14:14)。

Ⅲ.「生への衝動」の極致

神がイスラエルのために戦われる、それが聖戦です。神がイスラエルのために戦われるとは、「わたしは再びシオンに来てエルサレムの真ん中に住まう。……こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは真実と正義に基づいて彼らの神となる」ということです。ゼカリヤはそれを次のように言い換えます。「しかし今、わたしはこの民の残りの者に対して以前のようではない、と万軍の主は言われる」(8:11)と。「しかし今」とあるように、ゼカリヤは神がイスラエルのために戦われる聖戦、大いなる転回の変わり目に立っていることを自覚し、その時のしるしを正しく理解させるために同時代の人々に遣わされたのです。夜は押しやられ、日が近づいた。神殿建設とともに救済の時が開始する。苦悩と審判との時代は終わりに来たと。
この「今」を正確に決定することがゼカリヤの救済預言の現実性の特徴です。ルカは、少年イエスがエルサレムに現れたことでゼカリアが語った「今」が成就したことを描いたのです。それが、「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」という主イエスの言葉の意味です。エルサレム神殿から去った神の霊がイエスと共に帰ってきたのです! イエスのエルサレム訪問と共に、苦悩と審判との時代に終わりが来たのです。ルカはそれをこの記事の本来の結びである51節で端的に描きます。「それから、イエスは一諸に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった!」聖霊によって母マリアから生まれたイエスは両親に仕えた! 仕えたとは、「従属する、服従する、服する」とも訳される言葉です。つまり絶対的な服従です。ルカはこの言葉で、パウロがフィリピ書に引用した初代教会の讃美歌、「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで従順でした!」(2:6−8)に端的に歌われた十字架のキリストを描いたのです。
私たちは十字架の死に至るまで低きに下られたイエス・キリストを、主の晩餐の祭儀で、今、ここでのこととして体験するのです。ルカはそれを十二弟子との最後の晩餐で描きました。「食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である!」(22:27)。なんという神の必死さか。神は救うに値しない者を救うために独り子を十字架に上げられたのです! この神の必死さ、人を救う神の愛を誰の目にも最も印象的に仕方で表現しているのが主の晩餐なのです。聖晩餐を守る群れは、「精神にせよ、人間性にせよ、愛や創造力にせよ、貧困を目ざしての破滅的な下降」にある現代人に挑戦するのです。独り子を与えるほど世を愛された神の愛の中で、わたしたちは命を愛する喜びを学ぶのです。「キリストの愛に駆り立てられて」(Ⅱコリント5:14)、主にあって迎えた新しい年、主の晩餐による世界宣教のために仕えたいと思います。

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