2026/6/7 聖霊降臨節第3主日  「イエスの祈りと宣教」

マルコ1:29-39、ヘブライ5:7-10、イザヤ53:4-7
讃美歌 224

朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。……イエスは言われた。「近くの他の町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」(マルコ1:35、38)

Ⅰ.会堂を出て

きょう、皆さんと共に裁きの座(十字架のキリスト)見上げ、心を高く上げて聞きたい御言葉は、マルコ1章29節以下、イエスがシモン・ペトロの家で多くの病人を癒された記事と、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教されたという記事です。

バプテスマのヨハネから洗礼を受け、〈主の僕〉としての召命を受けたイエスは、荒れ野で四十日四十夜サタンの試みを受けられると、シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネの四人の漁師を「人間をとる漁師」として召されると、神の国の宣教に乗り出されたのです。イエスはガリラヤ伝道の拠点カファルナウムに着くと、安息日に会堂に入って教え、悪霊に取り憑かれた人を癒されました。人々は皆驚いて、「いったいこれはどういうことだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く」と論じ合ったのです。ここにイエスの世界宣教の第一歩が踏み出されたのです。

きょう、私たちに開かれた御言葉は、これに続く出来事です。「一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った」のです。舞台は礼拝の場から、日常の場へと移ったのです。当時、安息日の礼拝の後、人々は食事を共にしたのです。イエスと一行がシモンの家に行ったのはそのためでした。しかしシモンのしゅうとめは高熱で寝込み、人々をもてなすことができなかったのです。人々はそのことをイエスに伝えると、イエスはそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなしたのです。ルカは、このしゅうとめの癒しを、「イエスが……熱を叱りつけられると、熱は去った」(4:39)と表現し、悪霊追放であると解釈しました。マルコはシモンのしゅうとめの癒しに何を見たのでしょうか?

そのことを黙想していた時、山形孝夫が『砂漠の修道院』で描いた、聖アントニウスの伝説が思い起こされました。アントニウスは砂漠の洞窟に篭り、昼も夜も悪魔との闘争に明け暮れます。神も人間も不在の砂漠で悪魔との闘争を繰り返し、15年の歳月が過ぎた時、アントニウスはある決定的な経験をします。夜を徹した闘争は、苦行者の心と体をくたくたにします。そして、悪魔の夜が明けるのです。真暗闇の洞窟の明かりとりの窓から、一条の朝の光が射し込んで来ると、不思議に、悪魔の姿は掻き消えて、疲労のあまり、死んだように倒れている彼のかたわらに、見えるはずのないキリストの手が、やさしく差し伸べられていたのです。彼は、その手を握りしめると、涙にむせびながら、こう叫びます。「主よ! あなたは、勝ち給うた!」その瞬間に、不思議が起こるのです。彼の手の中には、ひとかけらのパンが握りしめられていたのです。正確にいうと、それはもはやパンではない。それは、十字架に釘うたれたキリストの〈聖体〉です。

「イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去った。」マルコがしゅうとめの癒しで描いたのは、これではないでしょうか。マルコもルカ同様、しゅうとめの癒しに悪霊追放を見たのではないか。悪霊に取り憑かれ、高熱にうなされて床に伏していたしゅうとめは、イエスが差し伸べた手を握り締めると、熱は去ったのです! 「主よ! あなたは、勝ち給うた!」との歓喜の声が聞こえて来るようです。悪魔の夜が明けたのです!

Ⅱ.治癒神イエス

それを象徴的に描いのが、この後、「夕方になって日が沈むと」、人々は、病人や悪霊に取り憑かれた者を皆、イエスのもとに連れて来たことです。「町中の人が、戸口に集まった」とマルコは描きます。なぜ人々は、「夕方になって日が沈むと」、病人や悪霊に取り憑かれた者を、イエスのもとに連れて来たのでしょうか。「夕方になって日が沈む」とは、単に時間の経過を言い表したのでなく、「安息日」が終わったことを意味しています。人々は「安息日」が終わったので、病人や悪霊に取り憑かれた者を、イエスのところに連れてきたのです。言い換えれば、人々は、いまか、いまかと安息日が終わるのを待っていたのです。なぜ、人々は、安息日が終わるのを待っていたのでしょうか。安息日に病人を癒すことは3章1節以下の、手の萎えた人の癒しに明らかなように、〈安息日律法〉を犯すことになるのです。夕方になって日が沈み、安息日が終わったのです。人々は、病人や悪霊に取り憑かれた者を皆、イエスのもとに連れて来たのです。_妻の闘病で病院を訪れる度に、病む人々とその家族をなん度も目にしました。_イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちを癒されたのです。多くの悪霊を追い出されたのです。シモンの家には、喜びが満ち溢れたのではないでしょうか。

ところで、神の民イスラエルにとって癒しと救いは聖所と祭儀から出ました。マルコは、癒しと救いはイエスから出るとしたのです。イエスから癒しと救いが出るとは、どういうことでしょうか。獄中のヨハネが二人の弟子をイエスのもとに遣わし、「来るべき方(メシア)は、あなたでしょうか?」と問うた記事が、それに答えています。イエスはこの問いに次のように答えます。「盲人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病人は清められ、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしに躓かない人は幸いである」(マタイ11:5−6並行)。

これらはイザヤからの引用で、終末における神の救いを描いたものです。問題は、なぜ、病気を癒し、貧しい人に福音を告げるイエスが「躓き」なのかです? ルカは、エマオ途上の二人の弟子への復活顕現物語でそれを扱っています。二人の弟子は、「業にも言葉にも力ある預言者」イエスに、ローマからの解放者の期待をかけたのですが、その期待は十字架で潰えたと、肩を落とし、元の生活に戻ろうとしていたのです。「業にも言葉にも力ある預言者」イエスと、十字架のキリストとの間には越えることができない断絶、つまずきがあるのです。それは、五つのパンと二匹の魚で、男だけでも五千人を満腹させたイエスを、「来るべき預言者」と見立て、自分たちの王にしようとしたことと重なります。人は「業にも言葉にも力ある預言者」イエスに、肉の欲望を満たす偉大な政治的指導者を見るのです。それは十字架への道からの逃避を意味します。私たちは、主イエスの全活動期間を通じて、十字架への道からの逃避を意味した政治的活動への誘惑が影のように付きまとっていたのを知っています。イエスはそのすべての誘惑を退けて十字架への道を歩まれたのです。

言い換えれば、イエスが「来るべき方」であるのは、十字架に上げられることにおいてなのです。それを端的に描いのがイザヤ書53章、「主の僕の苦難と死」です。

  彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであった……
彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって、
わたしたちに平和が与えられ、
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
わたしたちは羊の群れ、
道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。
そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた!

この苦難の僕の歌から明らかなように、「盲人は見え……」に始まるイエスの「力ある業と権威ある言葉」は、〈主の僕〉イエスの十字架の言い換えなのです。聖書の民にとって病は、犯した罪に対する神の刑罰でした。つまり、病が癒やされたとは、罪が赦されたということです! イエスは十字架に上げられることで罪の赦しを完成されたのです。

『十字架につけられた神』でモルトマンが語った言葉が心に迫ります。「十字架につけられた神」は、「キリスト者の神」と混同されえないものである。なぜなら、宗教心理学的および宗教社会学的に分析をしてみれば、「キリスト者の神」は必ずしも常に「十字架につけられた神」ではないし、むしろそうであるのは極めてまれであるからである。」モルトマンが語ったことを私たちは、イエスが世を去って十数年の教会に見るのです。パウロはガラテヤの信徒たちにこう書き送りました。

「ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか」(3:1)。

マルコがシモンの家での病気治しを、「悪霊にものを言うことをお許しにならなかった」で締め括った意図が〈十字架の躓き〉なのです。それは、この後に続く「らい病人の癒し」の記事(40−45)に端的に描かれます。イエスは清められたらい病人に、「だれにも、何も話さないように」と厳しく注意されます。しかし、らい病人はイエスの注意を無視して、大いに言い広めたのです。「それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた」とマルコは結びます。イエスは肉の満足を求める人々からご自分を隠されたのです! 十字架のキリストがこの世に安住できる場所はないのです。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(マタイ8:20並行)のです。

Ⅲ.イエスの祈りと宣教

このことを象徴的に描いのが35節、「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた(さびしい)所へ出て行き、そこで祈っておられた」です。イエスは朝早くまだ暗いうちに起き出し、人里離れた(さびしい)所へ出て行き、何を祈られたのか? それを知る手がかりは36節以下です。「シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、『みんなが捜しています』と言った。イエスは言われた。『近くの他の町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである!」

「わたしはそのために出て来た!」このイエスの使命を語る厳粛な言葉から推測しうるのは、 〈ゲッセマネの祈り〉です。マルコはイエスの宣教の冒頭で〈ゲッセマネの祈り〉を暗示したのです。イエスの宣教をゲッセマネの祈りで囲い込んだのです。マルコはそれを次のように描きます。「一同がゲッセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、『わたしが祈っている間、ここに座っていなさい』と言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。『わたしは死ぬばかりに苦しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。』少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るように祈り、こう言われた。『アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。』」ルカは、イエスは苦しみ悶え、血の滴りのような汗を流して祈ったと記しました(22:44)。ヘブライ書の著者は、このイエスの祈りを次のように解釈しました。「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげた」(5:7)と。

イエスの壮絶な苦しみを描くこれらのテキストとの関連で注目したいのはイザヤ書53章、「主の僕の苦難と死」の歌です。そこでは、主の僕は私たちの病、すなわち罪、咎、過ちをすべて負って、私たちに代わって神の裁きの座の前で進み出ると語られます。しかも主の僕は、「苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、……彼は口を開かなかった」と。そうであるのになぜマルコは、イエスの言語を絶する壮絶な苦しみを描いたのか? イエスはひどく恐れてもだえ始め、「わたしは死ぬばかりに苦しい」と言い、地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るよう、血の滴りのような汗を流して祈られたと! マルコは、イザヤが閉ざした主の僕の口を裂けんばかりに開いたのです。そうすることで、人となられた神イエスが、私たちの罪を背負うことが、どれほどの苦しみであるのかを描いたのです。わたしの罪を贖うために、神が苦しんだのだ!

イエスは言われます。「わたしはそのために出て来たのである!」ナザレのイエス、つまり「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)の全生涯は、〈ゲッセマネの祈り〉に貫かれているのです! そしてこの「イエスの祈り」を、教会は、主の晩餐で継承するのです! 「このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」(Ⅰコリント11:26)。東方教会の典礼に大きな影響を及ぼしたクリュソストモスは、ミサの中にキリストが現在する方法は、聖餐制定のことばだけではない。キリストは目には見えなくとも、祭儀のどこにもいる。祭司が聖体を差しだすとき、目に見えなくとも、それを渡すのは主の手である、と語りました。
私たちも主の晩餐で、目には見えなくとも、「取れ、これはわたしの体である、取れ、これはわたしの血である」と差し出されるキリストの手を見るのです。私たちは十字架に釘うたれたキリストの〈聖体〉、手を握り締め、「主よ、あなたは勝ち給うた!」と歌いつつ、世界宣教に乗り出すのです。主の晩餐が祝われるとき、悪魔の夜は明けるのです。

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